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2020年5月10日 (日)

家にいる時間が考える時間を生む

昨日、養老孟司の「春を歩く」という番組を見て居たら、

人は肉親の死を経験することで、それ以後の人は変わっていく、という言葉が印象に残った。

人が死ぬということは特別なことではないとも。

コロナ肺炎で有名人が死に、人が死ぬということがクローズアップされ、いつ肉親や自分の番になるのではないかと不安がり、恐れおののく。

死は日常から隠蔽されてしまってたが、ごく最近まで日常の一部であったはずだ。

「メメント・モリ」 死を忘れるな

ローマ人の言葉は日々生きる自分たちにも、忘れてはいけない言葉かもしれない。

昨年9月父が亡くなった。人は飲食できなくなったら死ぬというものだ。それはいつ自分に降りかかってくるかわからない。

パスカルの「パンセ」のなかで、「人は目隠しをして崖に向かって走っているようなものだ。」

死が目の前にあるかもしれないのに、気晴らしに興じていると。だから信仰が必要ということだが。

 

こうやって自宅が多いと、還暦を迎えて、こんな年齢になると、あと何回桜が見られるのだろうかとか

何シーズンスキーができるのかとか、考え、何かをやるにしてもやらないにしても、感慨にふけってしまう。

そういいながら、ゴルフの練習をしたりする。テニスも早くしたいものだが・・

 

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